【ヒロシ観察日記#10 】ヒロシの歴史を紐解いてみたら意外なことが判明!
2020.07.19
はじめに
こんにちは!
サニー建設商事の江川です。
今回は、2代目中津隈裕の歴史を紐解いてみたところ、意外なことが判明しました!
中津隈家の歴史
「中津隈」という名字はなかなか聞いたことがない珍しい苗字ですよね。
何か歴史がありそうな苗字...!?
先日中津隈家に関する資料を発見しまして、その資料を読んでみたところ意外なことがわかりました。では、歴史の中で中津隈家はどのような特徴を持っていたのか見ていきましょう!!
佐賀で最大クラスの土地を持っていた!
中津隈家は、肥前で権力を持っていた家計で、特に平安から鎌倉にかけて、滋賀にある比叡山の荘園(土地)を持っていました。土地も160町(今でいうと48万坪1.6平方km)という広さの土地を所有していたのです!
東京ドームが0.047平方km、福岡ドームが0.17平方kmであることを考えると、どれだけ広い土地を持っていたかわかりますね...
昔からお寺の修理をしていた!?
鎌倉時代では、比叡山延暦寺の総本堂である根本中堂で、「霜月会」と呼ばれる(天台宗を日本に広めた人物の命日にちなんだ)行事が行なわれていました。その霜月会に間に合うように、根本中道の修復を行なっていたのですが、なんとそこに中津隈家の収益が使われていたそうです!中津隈家の収益から、屋根の吹き替えや柱、廊下などの修理が行われていました。
2代目ヒロシも、1代目もこのことは知らなかったようですが、歴史を辿ってみると今の「サニー建設」があるのは必然なのかもしれません・・・。
幕府から直に命を受ける実力を持っていた!
室町幕府の時代では、中津隈家は特に実力を持っていました。そのため佐賀だけでなく、今の長崎県にある松浦地方にも所領を持っていて、両方を行き来して所領経営を行っていたのです。それだけでなく、北条氏からの命令で佐賀の有力御家人間の訴訟解決に遣わされていたそうです!
最後に
中津隈家の歴史を紐解いてみた結果、佐賀で最大クラスの実力を持っていて、以前から家の修理を行なっていたことがわかりました。歴史を見てみると面白いですね。
今回はヒロシの日記というより、中津隈家の歴史でした!